ことしのカープは、いつになく好調だ。
鯉のぼりの季節はとうに過ぎているにもかかわらず、例年のように下位に低迷するどころか首位をキープしている。
若い選手がはつらつとグラウンドで投げ打ち走っている姿とあいまって、リーグ成績の高みをすいすい気持ち良さそうに泳いでいる鯉が目に浮かんでくるようだ。
きのう交流戦に入って、いきなりパ・リーグ2位のソフトバンクホークスに手痛い黒星を喫して、またお約束のように交流戦で失速か、と気をもんでいるファンもすくなくないだろうが、たぶん大負けするようなことはないだろう。
やはりチーム力が、格段にアップしている。
きょねんシーズン途中に補強したキラが大当たりで、ふにゃふにゃだった打線に、ずっこんと大きな柱がとおった。
そのキラの加入によって精神的に解放されたのだろう、エルドレッドが覚醒して破格の爆発力と想定外の安定感をみせている。
ブンブンと気持ちいいようにバッターボックスで素振りをしていたのが嘘のように、ことしのエルドレッドにはスキがない。素人目にもタメができて、どんなタマにも対応できている。
ヒゲで顔を隠して別人がボックスに入ってるんじゃないのか。そんなマンガみたいなことを、ついおもってしまったほどの変貌ぶりだ。
菊池や丸、ついでに堂林といった若手が、タナボタのCS出場とはいえ、はじめてプレイオフを闘ったことで自信をつけたことも大きい。
勝率5割をきったAクラスで、本当にチーム力があったわけではないが、過信も自信のうちだ。勘違いしたまま好結果をつづければ本物の自信にならないこともないだろう。
投手力はもともと安定していたところに、即戦力の大瀬良、久里の両投手が加わって、さらに厚みがました。
ローテーションの谷間をどう埋めるかに課題はあるようだが、どのチームも投手の力量に差がある以上は谷間は生まれるわけで、それはやりくりの問題だろう。
そんなこんなで、めでたくチーム力が強化されたカープ。
それが現在の快進撃を支えている。
とまあ、そんなことはだれもが知っていることだし、どこにでもあふれているお説だろう。
しかし、これまであげたことだけが快進撃の原因かといえば、そうではないだろう。
抽象的な「自信」のほかに、何か要因があるはずだ。
チームの好不調には、チームの意識、選手個々の気持ちの問題がすくなからずかかわっている。というよりも、実はそれがもっとも大きなファクターといってもいいだろう。
選手たちが自信をつけた。それが練習の意識を変え、技術に大きく反映し、グラウンドでのプレイを変えた…
その自信がクライマックスシリーズを闘って得たものということに疑いはない。
情けないとはいえ「クライマックスシリーズで闘うこと」が目標だった低迷チームが、その目的を達して得た自信は大きい。
しかしもうひとつ見落としてはならないのが、じつは「前田智徳の引退」ではないのだろうか。
そこにもフオーカスしてみる必要がある。
いままで縷々チーム力の変化を述べたが、カープの今年の一番の変化は「前田智徳がベンチにいなくなった」ということなのだから。
長きに渡ってカープの顔であり、主軸であり、カリスマであった前田智徳。その存在感は別格だった。
その彼がいなくなってベンチの意識が変わらないわけがない。
妙ないいかただが「前田智徳が不在となったことによる自信」。それがいまのカープのベンチにはあるのではないだろうか。
おもえば、CS出場を決めたペナントレースに前田はいなかった。前田が尺骨を骨折して戦列を離脱してからカープの快進撃がはじまり、彼がいないままカープは16年ぶりのAクラスを決めていた。
「前田さんがいなくても、ぼくたちはCSに出場できた」
選手がいう自信には、無意識だろうがこんなニュアンスもあるのだろう。
あの前田智徳がベンチにいるだけで、選手たちはプレッシャーを感じていたはずだ。
どんなヒットを打とうが、どんな結果を出そうが“天才前田”からみれば稚拙なバッティングにしか見えなかっただろう。
前田本人がそんなことはおもわなくても、当人がそう邪推してしまう。
彼の存在自体が無言で「お前たちは、まだまだじゃ」といっているようなものだった。
そんな緊張感から解放されて選手たちは今はつらつと、自信をもってプレイしているのだろう。
チームの成績と、自分の存在とが必ずしも結びつかない。
自分が好調でもチームは低迷し、チームが好調なときに自分はチームにいない。そんな運命を前田本人は「めぐりあわせ」だといっていた。
とすれば、今の好調カープを前田本人は複雑な思いで見ているのではないだろうか。
下に前田が在籍した間のカープの成績を列挙してみる。その右欄には主なケガをあげた。
ざっとご覧になればおわかりのように、入団2年目にリーグ優勝しているものの、前田が主力として成長していくのと反比例するようにチームは低迷期に入っている。
また彼が長期に離脱しているときに成績があがるという傾向もみてとれる。
もちろんチームの成績が、ひとりの選手によって決まるわけではないが、前田本人が述懐していたように「めぐりあわせ」がないわけではないだろう。
年 順位 監 督 試合 勝 敗 分 勝率
1990 2 山本浩二 132 66 64 2 .508
1991 1 山本浩二 132 74 56 2 .569
1992 4 山本浩二 130 66 64 0 .508
1993 6 山本浩二 131 53 77 1 .408
1994 3 三村敏之 130 66 64 0 .508
1995 2 三村敏之 131 74 56 1 .569 右アキレス腱断裂で長期離脱
1996 3 三村敏之 130 71 59 0 .546
1997 3 三村敏之 135 66 69 0 .489
1998 5 三村敏之 135 60 75 0 .444
1999 5 達川晃豊 135 57 78 0 .422
2000 5 達川晃豊 135 65 70 1 .481 左足アキレス腱の腱鞘滑膜切除手術
2001 4 山本浩二 140 68 65 7 .511
2002 5 山本浩二 140 64 72 4 .471
2003 5 山本浩二 140 67 71 2 .486
2004 5 山本浩二 138 60 77 1 .438
2005 6 山本浩二 146 58 84 4 .408
2006 5 ブラウン 146 62 79 5 .440
2007 5 ブラウン 144 60 82 2 .423
2008 4 ブラウン 144 69 70 5 .496
2009 5 ブラウン 144 65 75 4 .464
2010 5 野村謙二郎 144 58 84 2 .408
2011 5 野村謙二郎 144 60 76 8 .441
2012 4 野村謙二郎 144 61 71 12 .462
2013 3 野村謙二郎 144 69 72 3 .489 左尺骨骨折
皮肉なことに前田という天才バッターが戦線に加わってから、カープはずっと戦果を出すことができなかった。不運なことに、彼の在籍年とカープの低迷期はほぼ重なっていたことになる。
彼の好不調に一喜一憂していうちに、チームはじりじりと成績を落として下位に沈んでいた。
ファンが、神がかりともいえる前田のバッティングに目を奪われている間、カープはずっと低迷していたのだった。
ファンは前田智徳という希代のバッターを得たかわりに、チームの低迷に甘んじなければならなかった。
そして、それはカープという球団の体質がもたらした結果でもあった…
そのことは、機会があればまた論じてみたい。